エミール・ベルリナー 生誕 167周年

Google日本語版トップページに 2018年5月20日(日)、エミール・ベルリナー(Emil Berliner)の生誕 167周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「エミール・ベルリナー」の検索結果が表示されます。

エミール・ベルリナー( 1851年5月20日 – 1929年8月3日 )は、ドイツ出身の米国の発明家。レコード盤蓄音機の発明で知られています。

エミール・ベルリナーは、1870年に両親とともに米国に移住。
後に電気技術者となり、アレクサンダー・グラハム・ベルの電話機の改良案で送話器に関する特許を取得。
技師としてベルの電話会社に雇われ、1883年まで勤務。
ベルリナーは独自の蓄音機の開発に取り組み、後のアナログレコードプレーヤーの原型となる円盤式蓄音機「グラモフォン」を 作りました。

また、エミール・ベルリナーはヘリコプターの研究にも取り組み、彼の 6番目の息子ヘンリー・ベルリナー(Henry Berliner)は、米国における航空機とヘリコプター開発のパイオニアになりました。

タマラ・ド・レンピッカ 生誕 120周年

Google日本語版トップページに 2018年5月16日(水)、タマラ・ド・レンピッカの生誕 120周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「タマラ・ド・レンピッカ」の検索結果が表示されます。

タマラ・ド・レンピッカは、ポーランド人のアール・デコの画家。出生地については、ロシア帝国支配下のワルシャワ生まれという説もありますが、モスクワ生まれという説もあります。
生年月日は 1898年5月16日とされていますが、1895年説や 1897年説モスクワもあります。

1913年、15歳のときに美男の弁護士に恋し、叔父のコネを利用してその男性と 1916年に結婚。

1917年にロシア革命が起き、夫が逮捕されて銃殺の危機にあった状況で、タマラはスウェーデン領事の助けを借りて夫を釈放してもらい、その後、夫婦でコペンハーゲンに向かい、次にロンドンに行き、結局、フランスのパリに落ち着きました。

パリで、夫婦は手持ちの宝石を売って生活資金に換えていましたが、夫はフランスでは弁護士活動をできず、タマラは生活のため画家になることにします。

幸い、タマラは画家として成功し、自由奔放な生活を実践。
しかし、家族との関係は円満ではなく、1928年に離婚。
1919年に生まれた娘ギゼットとも滅多に会わなかったそうです。

1934年にタマラはパトロンのラウル・クフナー男爵と正式に結婚。
1939年夏から、夫婦は米国で過ごすようになり、タマラの画家としての名声は失われていきます。

1961年11月にクフナー男爵と死別した後、タマラは船で 3度の世界一周旅行をして、その後、娘家族(夫婦には娘2人あり)の住むテキサス州ヒューストンに移住。

タマラは 1978年にメキシコに移住。娘キゼットは夫と死別した後にタマラの元に行き、1980年3月1日にタマラが死去するまでの約3ヶ月間、付き添ったそうです。

なかなか劇的な人生ですが、娘の母親に対する感情は複雑なものだったかもしれません。

マリア・ライへ 生誕 115周年

Google日本語版トップページに 2018年5月15日(火)、マリア・ライへの生誕 115周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「マリア・ライへ」の検索結果が表示されます。

マリア・ライへ( 1903年5月15日 – 1998年6月8日 )は、ドイツ出身の数学者で考古学者。ペルーのナスカの地上絵を研究した人です。

マリア・ライへはドレスデン工科大学では数学、地理学、物理学を学び、29歳の時にペルーに渡り、ドイツ領事の子供たちの家庭教師として働きはじめました。
1934年に学校教師となり、1939年に第二次世界大戦が勃発した際、ドイツに帰国しない決心をします。

1940年にアメリカ人考古学者ポール・コソックの助手となり、ナスカの地上絵の研究を開始。
コソックが 1948年にペルーを離れた後もマリア・ライへは地上絵の研究を続け、ペルー空軍の協力を得て写真調査を行ったりしました。

また、マリア・ライヒは地上絵を研究するだけでなく、地上絵を保護する活動にも取り組み、自分の財産の多くを保護活動のために使ったそうです。

母の日 2018

Google日本語版トップページに 2018年5月13日(日)、母の日にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「母の日」の検索結果が表示されます。

今回のロゴ画像には、母子と思われる 2体の四足歩行動物(恐竜?)が描かれています。

Wikipedia の「母の日」の項目の記述によれば、日本で「母の日」が 5月の第2日曜日に行われるようになったのは 1949年(昭和24年)頃からだそうです。

個人的には、特に「母の日」や「父の日」を意識することはなく、この日の Google のロゴ画像を見なければ、この日が「母の日」だと思い出すこともなかったかもしれません。

こどもの日 2018

Google日本語版トップページに 2018年5月5日(土)、こどもの日にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「こどもの日 2018」の検索結果が表示されます。

今回のロゴ画像には、4体のキャラクターが太鼓等の楽器を演奏しながら縦一列で更新する様子が描かれています。
今年(2018年)は、各国の子供の日に同様のロゴ画像を表示させているようです。

各国の子供の日について、Wikipedia で該当のページを読んでみたところ、6月1日を子供の日としている国が多くありました。

1925年にジュネーブの子供の福祉世界会議で、6月1日を国際子供の日(International Children’s Day)と制定しています。
各国の子供の日が「国際子供の日」よりも先に決まっていたものだとすれば、6月1日という日付に何らかの歴史的な意味があったのかもしれませんが、それを調べてみようと思うほどの興味はありません。

イチロー、事実上の引退

米国時間の 2018年5月3日(木)、イチロー外野手がスペシャルアシスタントとしてマリナーズのフロント入りすることが発表されました。
イチローは今季の残り試合に選手として出場しませんが、チームに同行し、練習を続けるとのことです。

イチローが選手として復帰する可能性はゼロではありませんが、かなり難しく、事実上の引退といっていいでしょう。

イチローは好走守に優れたオールラウンドプレイヤーで、1994年から 2000年までの 7年連続で日本プロ野球(NPB)の首位打者。

2001年のシーズン開幕から MLB でプレーし、2001年にア・リーグの新人王と MVPに選出。
2004年に、262安打でシーズン最多安打記録を更新。
2010年まで 10年連続200本安打。
MLB通算安打数では、3,089本で史上 22位です。

今後、イチローが MLB通算安打数を伸ばす可能性は低いとは思いますが、私はイチローが選手として復活することを期待しています。

ジョルジュ・メリエスを称えて

Google日本語版トップページに 2018年5月3日(木)、ジョルジュ・メリエスを称えるロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックするとアニメが再生されます。

アニメの終了後、画面表示はキーワード「ジョルジュ・メリエス」で検索できる状態になっています。

ジョルジュ・メリエス( 1861年12月8日 – 1938年1月21日 )は、フランスの映画製作者で、世界初の職業映画監督と言われている人。
多重露光や低速度撮影など、様々な技術を開発しました。

メリエスの最も有名な作品は 1902年の映画「月世界旅行」で、今回の Googleロゴのアニメのラストシーンは、「月世界旅行」での宇宙船が月の目に突き刺さるシーンをモチーフにしています。

メリエスは 1911年頃から興行での失敗が多くなり、兄ガストンが財政面で失敗したこともあって、経済的に行き詰まりました。
1913年以降は映画を製作できず、1923年以降は舞台に立つこともなく、生活は苦しかったようです。

ちなみに、メリエスが映画を撮影しはじめたのは 1896年5月のことだそうです。
今回の Googleロゴが 5月に公開されたのは、この事を意識しているのかもしれません。

カール・フリードリヒ・ガウス 生誕 241周年

Google日本語版トップページに 2018年4月30日(月)、カール・フリードリヒ・ガウスの生誕 241周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「カール・フリードリヒ・ガウス」の検索結果が表示されます。

カール・フリードリヒ・ガウス( 1777年4月30日 – 1855年2月23日 )は、ドイツの数学者、天文学者、物理学者。
19世紀の科学の世界の巨人の一人で、数学や物理学などの様々な分野でガウスの名が付いたもの(ガウス積分、ガウスの定理、ガウス平面、ガウスの法則、etc.)が多数存在します。

私生活では、最初の妻と死別し、妻二人との間に 3人ずつ、計 6人の子供をもうけました。
信心深く、保守的で、あまり人と打ち解けることのない人物とのことで、愉快なタイプの人ではなかったと思われます。

アースデー 2018

Google日本語版トップページに 2018年4月22日(日)、アースデー(International Mother Earth Day)にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックすると、ジェーン・グドールがアースデーの大切さについて語る動画の再生が始まります。
動画の再生終了後、キーワード「アースデー」の検索結果が表示されます。

ジェーン・グドールは、イギリスの動物学者、霊長類学者、人類学者、国連平和大使。
1960年に野生のチンパンジーについてのフィールド調査を開始し、チンパンジーが道具を使うこと等、様々の発見をした人です。

ジェーン・グドールは正規の大学教育を受けずに研究者になった人で、1966年にケンブリッジ大学で Ph.D. (博士水準の学位)を取得。ケンブリッジ大学の歴史で、学士号を持たずに Ph.D. を取得した人はジェーン・グドールで 8人目だそうです。

オマル・シャリーフ 生誕 86周年

Google日本語版トップページに 2018年4月10日(火)、オマル・シャリーフ(Omar Sharif)の生誕 86周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「オマル・シャリーフ」の検索結果が表示されます。

オマル・シャリーフ( 1932年4月10日 – 2015年7月10日 )はエジプト出身のアラブ人俳優で、本名はミシェル・ディミトリー・シャルフーブ。
日本では英語読みの オマー・シャリフ とも表記されます。

オマル・シャリーフは、カイロ大学を卒業後にイギリスに留学し、ロンドンの王立演劇アカデミーで演技を学びました。
帰国後、エジプトで映画デビュー。

1962年のイギリス映画「アラビアのロレンス」でアラブの遊牧民族の族長アリを演じてアカデミー助演男優賞候補になりました。
その後、1965年の映画「ドクトル・ジバゴ」や 1968年の映画「うたかたの恋」に主演するなど、1970年代までは知名度の高い作品に出演してました。

1980年代と 1990年代は知名度の高い出演作品に恵まれませんでしたが、2003年のフランス映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」でセザール賞最優秀男優賞を受賞しています。

私は、オマー・シャリフの出演作を映画館で観たことはありませんが、テレビ放映時に「アラビアのロレンス」と「ドクトル・ジバゴ」を観た記憶があります。

元プログラマーの仕事ブログ