洗車 2014/12/30

2014年12月30日(火)の 13時過ぎから 14時半過ぎまで、自宅の庭で洗車を行いました。

我が家にある車は、軽トラを含めて 4台。
妻は、軽トラ以外の 3台を洗うことを希望しました。
妻の計画に従い、子ども達(長男、次男)と私の計 3人で車外を洗い、妻自身は車内を清掃することに。

水洗いだけなので、効率的に作業すれば 30分くらいで作業が終わるはずですが、子ども達は散水用のシャワーで遊び始め、私も子どもの遊びに付き合ったため、作業に予定より多くの時間がかかりました。

また、2台目を洗い終えた頃に来客があり、15分ほど作業中断しました。

作業再開後、子ども達は所在不明で、私一人で手早く洗車を済ませ、ついでに軽トラの外側も簡単に水洗いしました。

結果的に、今回の洗車作業で子ども達は戦力になりませんでした。
3年後くらいには、長男が現在の私以上の戦力になっていることを期待しています。

ブログ更新 3連休

2014年12月27日(土)から同年12月29日(月)までの 3日間、本ブログ「戦略的ゲーム生活」の更新を休みました。

その間、28日の午前中に餅つきを行なった以外、主に携帯電話関連の情報収集を行っていました。

情報収集の主な目的は、スマートフォンの入手。
来年の 3月末までに、妻のためにスマホを入手することにしており、出来るだけ出費の少ない入手方法を検討しています。

また、フューチャーフォン(いわゆるガラケー)の端末についても調べています。
私は普段、8年以上前に購入した端末を使っていて、最近まで問題なく通話できていたのですが、近頃、私の声が相手に聞こえない現象が何度か発生しています。

私が携帯電話で話すのは年に十数分くらいですが、通話できないのは困ります。
外出時に家族の携帯電話機を借りる手はありますが、やはり、新しい端末を入手したいと考えています。

多分、近いうちにドコモのオンラインショップでガラケーを注文することになると思います。

正月準備 2014

2015年(平成27年)の正月に向けて、正月準備を 2014年12月21日頃に開始しました。

妻は自宅の大掃除を少しずつ行っています。

私は、22日に居間の照明の蛍光管を交換し、昨日(12月25日)の午前中に餅米を精米しました。
今日(26日)は正月飾りを飾り、年末年始の食材を買い出しに行くことにしています。

今後の予定は、28日に餅をつき、31日に年内最後の買い出し。

正月準備は毎年恒例の作業で、多分、行うべき作業を実施し忘れることはないでしょう。

ただ、来年(2015年)の 1月5日に某クレジットカード利用代金等の引き落としがあり、引き落とし用の銀行口座の残高が不足しています。
引き落としできないのは信用にかかわる事で、私としては絶対に避けたいことです。

大みそかまでに ATM で入金しておかなくては!

NYダウ、終値が初の 1万8000ドル台

2014年12月23日(火)のニューヨーク株式市場で、ダウ工業株30種平均(NYダウ)は 5営業日連続で上昇しました。
終値は前日比 64ドル73セント高の 1万8024ドル17セント。
終値で初めて 1万8000ドルを突破しました。

ナスダック総合指数(Nasdaq Composite Index)は 5営業日ぶりに下落し、前日比 16.000ポイント安の 4765.424 ポイントで取引終了しました。

この日に発表された 2014年7~9月期の米国の国内総生産(GDP)確定値や個人消費支出が市場の予想を上回り、米国の景気の先行きを楽観視する動きが大勢となりました。

同日のニューヨーク外国為替市場で、円は対ドルで 5営業日連続で下落し、1ドル=120円65~75銭で取引終了しました。

ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で、原油先物相場は反発。
WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)で期近の 2015年2月物は、前日比 1.86ドル高の 1バレル 57.12ドルで取引終了しています。

来年(2015年)中に NYダウが 2万ドルを突破するか、注目しています。

蛍光管とドアノブを交換

2014年12月22日(月)、午前9時過ぎに居間の照明の蛍光管を交換、昼過ぎ、2F の寝室兼仕事部屋のドアノブを交換しました。

居間の照明は、40、32、30の 3本のドーナツ型蛍光管を使用しており、今回、3本全てを交換。
交換前から 30の蛍光管は点灯しなかったのですが、交換後も点灯しませんでした。
蛍光管以外に問題があるようです。

2F の寝室兼仕事部屋のドアノブは、部屋と廊下を区切るドアのノブで、数年前に事故で部屋の側のノブが破損し、取っ手部分を外したまま放置してありました。
ドアを閉めてしまうと、部屋の中からドアを開けることが出来ず、別の戸から部屋の外に出る必要がありました。

妻の要望により、数日前にドアノブの部品をネットで購入し、今回の付け替えを行なったことによって、かなり便利になりました。

部品の価格は、送料込みで約1500円。
私は基本的に後悔しない主義ですが、もっと早くドアノブを交換しておくのが「正解」だったことを認識しました。

new 3DS 使用開始

2014年12月22日(月)、私の次男がゲーム機「Newニンテンドー3DS」を使用開始しました。

このゲーム機は、クリスマスプレゼントとして購入したものですが、初期不良かどうかは早めに確認するため、クリスマス前に次男に渡しました。

ゲーム機だけあっても動作確認は出来ないので、私の母から次男へのクリスマスプレゼントとして購入済の「妖怪ウォッチ元祖」も渡しました。

基本設定の後、最初は次男の代わりに長男がプレーしましたが、その後、次男もプレーに参加。
多分、次男は今日のうちにゲームの基本的な操作を習得できると思います。

私は、子ども達がゲーム機を操作する様子を隣で見ています。
3DS でのインターネット接続設定を行なったことはありますが、ゲームのプレー方法は全く分かりません。

ゲームにハマるのが怖いので、当分、私は 3DS のゲームをプレーしないつもりです。

食べ過ぎ? 2014/12/20

2014年12月20日(土)の午後は体が重く、体調はイマイチでした。

この日は、妻と二人で外出し、昼はラーメンと炒飯(ちゃーはん)を食べたのですが、意外にラーメンの量が多く、満腹になりました。

普段、夕食の頃には空腹感があるのですが、この日は空腹感はなく、普段よりも少量の食事で済ませました。

今から思うと、昼食の量が多過ぎたのかもしれません。

ただ、体調がイマイチだった原因が食べ過ぎかどうかは、分かりません。

ラーメンとチャーハンという、塩分の多い料理を食べた後、水分摂取が不足していた可能性もあります。

幸い、夜には私の体調は回復しました。

痛風の発作を起こすのは怖いので、当面、食事の量と質に気をつけることにします。

年賀状の宛名印刷 2015

2015年の年賀状の宛名印刷を、2014年12月18日(木)と翌19日(金)に行ないました。

18日に約40枚、19日に約30枚を印刷。
これらの大部分は親戚宛てか父の友人・知人宛てで、10枚ほどが子どもの友人宛てで、私の友人宛てのハガキは含まれていません。

友人宛ての年賀状について、ここ十数年の私は、受け取った年賀状に対して返信するスタイルです。

来週、郵便局で年賀状を出すついでに、年賀はがきを何枚か購入しておくことにします。

ジョブズ、死後にアップルを救う

米アップル社の共同創業者の一人で 2011年10月に死去した故スティーブ・ジョブズ氏が、死後にアップル社を救ったと報じられました。

アップル社は、携帯音楽プレーヤー「iPod」に関して、独占禁止法違反で集団訴訟を起こされていたのですが、カリフォルニア州連邦地裁で 2014年12月16日、陪審団が原告の訴えを退ける評決を出しました。

この裁判で原告側は、iPod とアップルの音楽配信サービス「iTunes」のソフトウェアが頻繁に更新されることにより、他社から購入した楽曲を再生できなくなったり、楽曲が消失したと主張。

原告側は 3億5000万ドルの損害賠償を求めていましたが、この裁判で原告が勝訴すれば、独占禁止法違反に対する懲罰として、賠償額が 3倍になる可能性もありました。

この裁判でアップル側は、ジョブズ氏の死の約半年前に撮影された未公開映像を証拠として提出。
ジョブズ氏はこの映像で、ハッカー対策としてソフトウェアを更新する必要があったことを主張し、結果的にジョブズ氏の主張が認められました。

中国には、三国志に由来する故事「死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす)」がありますが、今回の出来事は「死せるジョブズ、アップルを救う」内容と言っても過言ではないでしょう。

それにしても、3年以上前に亡くなっているジョブズ氏の映像がアップル社を裁判で窮地から救う役に立ったことに驚きました。

ワシリー・カンディンスキー生誕148周年

Google日本語版トップページに 2014年12月16日(火)、「ワシリー カンディンスキー 生誕 148 周年」を記念するロゴ画像が表示されました。

ワシリー・カンディンスキーは、ロシア出身の画家で、抽象絵画の創始者とされる人物。

なお、ロシアでは共産主義革命までユリウス暦が採用されていて、ワシリー・カンディンスキーの生年月日は 1866年12月4日(グレゴリオ暦では 12月16日)で、死去した日は 1944年12月13日です。

カンディンスキーは、1921年にロシアからドイツに移り、1922年から 1933年までドイツにある工芸学校「バウハウス」に勤務。
1934年にフランスに移住し、フランスで死去しました。

カンディンスキーは、ナチス占領下のフランスで作品の展示を禁止されるなど、不遇な晩年でした。