Google 創立 19周年

Google日本語版トップページに 2017年9月27日(水)、Google の創立 19周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックすると、キーワード「google birthday surprise spinner」の検索結果が表示されます。
このキーワードを直訳するなら、「Google の誕生日のサプライズ・ルーレット」とでも表現するところでしょう。

なお、検索結果の最上部に表示された画像には、「クリックして開く」ボタンと「再度回す」ボタンが描かれています。
前者を押すと、ルーレットで選択された位置に対応する過去の Doodle画像が表示され、後者を押すとルーレットが再度回ります。

日本でインターネットの普及が本格化したのは、多分、1990年代の中頃から。
その頃から現在に至るまで、IT分野で多くの有名企業が出現しましたが、既に消滅した会社も少なくありません。

Google は現時点では勝ち組の一つで、おそらく、二十年後の世界でも存在していると思われますが、私の思っている通りの結果になるかどうか、確信はありません。

アメーリア・ヘルナンデス 生誕 100周年

Google日本語版トップページに 2017年9月19日(火)、アメーリア・ヘルナンデス(Amalia Hernández)の生誕 100周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「Amalia Hernandez」の検索結果が表示されます。

アメーリア・ヘルナンデス(1917年9月19日 – 2000年11月5日)は、メキシコのダンサーで振付師。
メキシコの民族舞踊を専門とするバレエ団「Ballet Folklórico de México(バレエ・フォルクロリコ・デ・メキシコ)」の創立者でもあります。

1952年に設立当時、「Ballet Folklórico de México」にはダンサーが 8人しかいなかったのが、1959年には 60人のパフォーマーを抱える集団になり、その後、メキシコ政府の援助を受け、他国で公演を行う程に成功。
当時のメキシコ大統領ロペス・マテオスに認められ、「メキシコ国立民族舞踏団」となりました。

アメーリア・ヘルナンデスは、亡くなるまで振付師として「Ballet Folklórico de México」で活動していたようです。

ちなみに、アメーリア・ヘルナンデスの弟の Agustín Hernández Navarro は、メキシコで有名な建築家・彫刻家で、アメーリアが創立した Folkloric Ballet School の建物のデザインを手がけています。

アメーリアの死後、アメーリアの娘ノルマ・ロペス(Norma López Hernández)がバレエ団の芸術監督を担当しましたが、2011年8月に 72歳で亡くなりました。

現在は、アメーリアの孫でノルマ・ロペスの息子のサルバドール・ロペス(Salvador López)がバレエ団の運営を指揮しているようです。

アメリカ同時多発テロ発生から 16年

2001年9月11日、「アメリカ同時多発テロ事件」が起こりました。
この事件による犠牲者は、すべての死者の数を合計すると 3025人とされていて、1000人以上の遺体が発見できなかったそうです。

今年(2017年)になってから遺体の身元が判明した人が何人かいることが、今日(2017年9月11日)、テレビのニュース番組で報じられてました。

なお、米国ではアメリカ同時多発テロ事件にちなんで、事件発生の翌年(2002年)から 9月11日を「Patriot Day」(愛国者の日)としています。

アメリカ同時多発テロ事件が起こった頃、まだ私は結婚したことがなく、妻となる女性とは知り合っておらず、当然、子供もいませんでした。
生命や平和の大切さについて、当時の私も頭では分かっていましたが、心の底から実感したのは長男が生まれてからだったと思います。

事件発生から 16年が過ぎましたが、今でもテロ事件は後を絶たず、紛争や戦争もなくなっていません。

世界が平和であってほしいものですが、実現までには長い時間がかかりそうです。

桐生が 9秒98、陸上 100メートル

陸上男子短距離の桐生祥秀選手(21)が 2017年9月9日(土)、福井県営陸上競技場で行われた日本学生対校選手権の 100メートル決勝で、追い風 1.8メートルの条件の下、9秒98で 3年連続 3度目の優勝を果たしました。

これまでの日本記録は、伊東浩司が 1998年にバンコクで行われたアジア大会でマークした 10秒00で、今回、ついに桐生が日本人選手で初めて 9秒台の記録を出しました。

ちなみに、桐生は京都・洛南高 3年だった 2013年に当時日本歴代 2位の 10秒01を記録。
2015年には追い風参考(2.0メートル超)で 9秒87の記録を出しています。

1968年にジム・ハインズ(米国)が史上初の 9秒台をマークして以来、9秒台を記録した選手は 120人以上いるそうですが、その大部分は北中米やアフリカの黒人選手。

アジアでは、これまで 9秒台を記録した選手は 3人で、そのうちの 2人は、アフリカ出身でカタールに国籍を変更した人。
アジア出身で 10秒の壁を破ったのは、2015年5月30日に 9秒99を出した蘇炳添(中国)が最初で、桐生は 2人目です。

それにしても、9月9日に 9秒台の記録が出たのは印象的でした。

ジョン・コーンフォース 生誕 100周年

Google日本語版トップページに 2017年9月7日(木)、ジョン・コーンフォース(Sir John Warcup “Kappa” Cornforth)の生誕 100周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「ジョン コーンフォース」の検索結果が表示されます。

サー・ジョン・ワーカップ “カッパ” コーンフォース(1917年9月7日 – 2013年12月8日)は、オーストラリアの化学者。
10代で難聴になりましたが、そのハンディを乗り越え、1975年に酵素触媒反応の立体化学的研究でノーベル化学賞を受賞、1977年にはナイトに叙せられています。
また、コーンフォース転位(Cornforth rearrangement)という化学反応に名前を残しています。

なお、今回のロゴ画像の中央部には、コーンフォース試薬(cornforth reagent)、別名「二クロム酸ピリジニウム」が描かれています

コーンフォースは、16歳でシドニー大学に入学し、後に研究の協力者となったリタ・ハラデンス(Rita Harriet Harradence)と知り合います。
1937年、コーンフォースはシドニー大学を首席で卒業。

1939年、コーンフォースはリタ・ハラデンス(1915年9月16日 – 2012年11月6日)とともにオックスフォード大学(University of Oxford)に留学し、二人とも博士号を取得し、1941年に結婚。
二人はイギリスに留まって研究を続け、私生活では 3人の子供(1男2女)をもうけます。

コーンフォースはノーベル化学賞の受諾演説で、妻がコーンフォースの仕事に協力し、大きく貢献したことに言及しています。

幸福な人生だったのでしょう。