「訃報」カテゴリーアーカイブ

水谷優子さん死去

声優の水谷優子さん(以下、敬称略)が 2016年5月17日(火)乳がんのため 51歳で亡くなりました。
2016年5月19日、所属事務所の青二プロダクションの公式サイトで発表されました。

水谷優子は、1985年に「機動戦士Ζガンダム」の飛行場アナウンサー役でデビュー。
「赤い光弾ジリオン」のアップル役などを経て、1988年に「エースをねらえ!2」の岡ひろみ役で初主演。
1990年に放送が始まった「ちびまる子ちゃん」では、主人公の姉(さくらさきこ)役で出演し、代表作の一つとなりました。

なお、「ちびまる子ちゃん」は 2016年5月29日放送分まで収録済とのことで、お姉ちゃんの声は来月(2016年6月)放送分から変わります。

水谷優子の仕事で私の印象に残っているのは、やはり「ちびまる子ちゃん」のお姉ちゃん。それと、「ふしぎの海のナディア」のマリー役。
いい声でした。

日本人女性の平均寿命が 86歳を超えている今の時代に、51歳での死は若すぎるし、残念です。

漫画家 望月三起也さん死去

漫画家の望月三起也(もちづき みきや)さん(以下、敬称略)が 2016年4月3日 午前7時56分、肺腺がんのため川崎市中原区にある病院で死去しました。77歳。

望月三起也は、神奈川県横浜市出身で 1938年12月16日生まれ。

1960年にデビューし、1964年に雑誌「少年キング」で連載開始した「秘密探偵JA」がヒット。
1969年から「少年キング」で連載された「ワイルド7」は代表作となり、1979年に連載終了した後、「新ワイルド7」などの続編が描かれました。

先月(2016年3月)、肺がんで「余命は長くて1年と言われている」ことを発表し、1979年の作品「俺の新選組」の続編を描く意向を表明を表明しましたが、作者の死により実現しませんでした。

私は望月三起也のファンではありませんが、「ワイルド7」のラストで「夏にユキが降った」場面は覚えています。

「ワイルド7」の続編がもう描かれないのが残念です。

デヴィッド・ボウイ死去

英国のミュージシャンで俳優のデヴィッド・ボウイ(David Bowie)氏(以下、敬称略)が 2016年1月10日に 69歳で死去しました。
死因は癌だそうです。

デヴィッド・ボウイは、1947年1月8日生まれ。
1970年代前半から中盤にかけてグラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍。
その後、様々な作風の変化はありましたが、2004年のツアー中に緊急入院するまでは継続的に活動していました。

退院後、実質的な引退状態が続いていましたが、2013年1月8日、新曲「ホエア・アー・ウィー・ナウ?」と新アルバム「ザ・ネクスト・デイ」を同年3月に発売すると発表。
死の 2日前の 1月8日には、アルバム「ブラックスター」がリリースされています。

デヴィッド・ボウイは、俳優としても活躍し、日本では特に 1976年の映画「地球に落ちて来た男」(The Man Who Fell to Earth)と 1983年の映画「戦場のメリークリスマス」(Merry Christmas, Mr. Lawrence)に出演したことで知られています。

私は、デヴィッド・ボウイのファンではありませんが、世界の数多くのミュージシャンの大きな影響を与えた人だということは知っています。

才能豊かな偉大なアーティストが世を去ったことを残念に思います。

萩原流行さん死去

俳優の萩原流行さん(以下、敬称略)が 2015年4月22日(水)に 62歳で死去しました。
この日の 18時頃、バイク(ハーレーダビッドソン)を運転中に転倒事故を起こした模様。

3車線の中央車線を走行中、左側から車線変更してきた警視庁高井戸署の護送車と接触して転倒し、後ろから来た乗用車に胸部を轢かれたものとみられています。

心臓破裂と報じられており、即死でしょう。

萩原流行(はぎわら ながれ)は、東京都世田谷区出身の俳優で、1953年4月8日生まれ。

1973年に舞台デビューし、特に 1980年代から 1990年代にテレビドラマや映画で活躍しました。

私は、映画やドラマで萩原流行を見たことはほとんどありませんが、1986年~1987年のドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」に出演していたことは覚えています。

萩原流行は、妻とともに「うつ病」を患っていることを何年か前に明らかにして以降、闘病体験をテレビ番組などで明らかにしていました。

病気の影響があったのかどうかは分かりませんが、萩原流行はここ数年、何度か交通事故を起こしています。
これまでは命にかかわる事故ではありませんでしたが、今回は気の毒なことになりました。

健康だったなら、今頃は NHKの朝ドラや大河ドラマに出演していても不思議ではないレベルの俳優だったことを思うと、残念です。

愛川欽也さん死去

“キンキン”の愛称で知られた、俳優でタレントの愛川欽也さん(以下、敬称略)が死去していたことがわかりました。
2015年4月17日に所属事務所が正式発表したもので、 2015年4月15日の午前5時11分、肺がんのため自宅で死去とのことです。

愛川欽也は、東京出身で 1934年6月25日生まれ。
1954年に俳優座養成所(3期生)に入所後、声優やラジオパーソナリティ、司会者などをこなし、マルチタレントとして活躍しました。

プライベートでは、1978年に前妻と離婚し、その翌日にタレント・うつみ宮土理と再婚したことが、当時、話題となったそうです。

なお、愛川は最初の妻との間に子供 2人(俳優の井川晃一、元女優の佳村萠)をもうけており、孫もいるそうです。

愛川欽也の俳優としての代表作は、1975年~1979年に制作された菅原文太(すがわら ぶんた)主演の映画「トラック野郎」シリーズ。
愛川欽也は主人公の相棒「やもめのジョナサン」こと松下金造を演じてました。

また、テレビ朝日系のドラマ「西村京太郎トラベルミステリー」シリーズで、1981年の第1作から 2012年の第57作まで、愛川欽也が亀井刑事役で出演してました。

司会者としては、2014年9月にテレビ東京系の「出没!アド街ック天国」の司会により、「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネス世界記録に認定されています。

私は、「出没!アド街ック天国」を見たことはありませんが、フジテレビ系の紀行・クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」(1981年10月6日~1996年3月26日)を何度か見たことがあります。
この番組は愛川と楠田枝里子が司会で、身長 175センチの楠田が椅子に座り、身長 168センチの愛川は立って話すスタイルだったことが私の印象に残っています。

愛川は、1995年4月から出演していた「出没!アド街ック天国」を、放送1000回目の 2015年3月7日放送分を以て降板しました。
既に体調は悪かったのだと思いますが、ほぼ生涯現役だったのは幸せだと思います。

レナード・ニモイ 死去

「スタートレック」のスポック役などで知られる俳優レナード・ニモイ(以下、敬称略)が、2015年2月27日に慢性閉塞性肺疾患(COPD)のため死去しました。83歳。

レナード・ニモイ(Leonard Nimoy)は、1931年3月26日に米国マサチューセッツ州ボストンで生まれ、ボストンカレッジ中退後に俳優となりました。
1952年の映画「Kid Monk Baroni」に主演しているそうです。

レナード・ニモイは多くの TVドラマや映画に出演していますが、特に「スタートレック」シリーズのスポック役で有名です。
ニモイは、シリーズ第1作で 1966年~1969年に放送された SFテレビドラマ「Star Trek」(邦題: 宇宙大作戦)に宇宙船エンタープライズ号の副長兼科学主任のスポック役で出演し、映画の「スタートレック」シリーズにも同じ役で出演しています。

また、映画監督でもあり、「スタートレック」シリーズの映画の第3作と第4作を監督しています。
「スタートレック」シリーズ以外では、1987年の映画「スリーメン&ベビー」(Three Men and a Baby)を監督しています。

なお、日本のテレビで放送された「宇宙大作戦」は放送時間の都合で少しカットされているそうです。
いつかはノーカット版を観たいものです。

SF作家 平井和正、死去

SF作家で漫画原作者の平井和正氏(以下、敬称略)が死去したことが、2015年1月18日(日)に報じられました。76歳。

平井和正(ひらい かずまさ)は、1938年5月13日生まれ。
1962年に商業誌デビュー。
翌1963年、原作を担当した漫画「8マン」(作画: 桑田次郎)の連載がスタートします。

小説家としては、漫画「ウルフガイ」を小説化した「狼の紋章」を 1971年に発表し、その後、「ウルフガイ」や「アダルト・ウルフガイ」などのシリーズ作品がヒットして人気作家となりました。

1971年に発表された小説「超革命的中学生集団」は、実在の SF関係者を実名で登場させたことでも話題となった作品で、謎の宇宙人に超人的能力を与えられた 6人の中学生が活躍?します。
ライトノベルの源流の一つと言っても良いかもしれません。

1979年には、ライフワークの「幻魔大戦」シリーズの小説「真幻魔大戦」と「幻魔大戦」に取り掛かりますが、両作品とも未完のまま中断しました。

1994年、オンラインノベル「ボヘミアンガラス・ストリート」を発表。
平井和正は、日本での電子書籍出版の先駆者といえます。

私は、学生時代に「真幻魔大戦」と「幻魔大戦」を読んだことがあります。

角川文庫版の小説「幻魔大戦」全20巻と、トクマ・ノベルズ版の「真幻魔大戦」全15巻を持っていましたが、不慮の事故により、失ってしまいました。

なお、「幻魔大戦」シリーズの作品には、「ハルマゲドンの少女」(1986年)、「幻魔大戦deep」(2005年)、「幻魔大戦deep トルテック」(2008年)がありますが、私は未読です。

シリーズは「幻魔大戦deep トルテック」で一応は完結しているらしく、そのうちに読んでみたいと思っています。

菅原文太さん死去

俳優の菅原文太(すがわら ぶんた)さん(以下、敬称略)が 2014年11月28日に死去していたことが、2014年12月1日に報じられました。81歳。

菅原文太は、1933年8月16日生まれ、宮城県仙台市出身。

大学中退後、劇団四季に 1期生として入団。

1956年に東宝の映画「哀愁の街に霧が降る」に出演。
1958年に新東宝に入社し、同年の映画「白線秘密地帯」で本格映画デビュー。

1961年に新東宝が倒産したため松竹に移籍し、1967年に東映に移籍。

松竹では脇役ばかりで、東映移籍後も小さな役での出演が続きました。

1969年の「現代やくざ 与太者の掟」が東映移籍後の初主演で、その後、主役での起用が増えました。

1973年からの「仁義なき戦い」シリーズ、1975年からの「トラック野郎」シリーズの大ヒットにより、国民的なスターとなりました。

映画での活動がメインでしたが、1980年の NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演後、数々の TVドラマにも出演しました。
2012年11月に俳優引退を宣言しました。

私は、菅原文太が出演した映画もドラマも観た記憶がありませんが、菅原文太が CM でジープを押していた場面は印象に残っています。

ボンカレーの発案者 大塚明彦氏、死去

ボンカレーの発案者として知られる、大塚ホールディングス会長の大塚明彦(おおつか あきひ)氏が、2014年11月28日に死去しました。77歳。

大塚氏は、1937年(昭和12年)7月21日生まれで、徳島県出身。

1960年、中央大学工学部を卒業後、父親が経営する大塚製薬に入社。

ボンカレーは、1968年2月に大塚食品工業より阪神地区限定発売。
翌1969年4月に全国発売され、ロングセラー商品となりました。

大塚氏は、1976年から 1998年まで大塚製薬社長を務め、社長在任期間中、1980年発売の「ポカリスエット」、1983年発売の「カロリーメイト」を手がけています。

レトルトカレー「ボンカレー」は世界初の市販レトルト食品、ポカリスエットは国産スポーツ飲料の古参、カロリーメイトは栄養食品の草分け的存在で、現在の日本人の生活に大塚氏が与えた影響は小さくありません。

久しぶりにボンカレーを食べたくなりました。
ただ、ボンカレーのシリーズで私の好みの製品は、松山容子パッケージのものなのですが、残念なことに地元(静岡県富士宮市)のスーパーでは販売されていません。

大塚食品の公式サイトで注文する手はありますが、そこまでして食べたいかというと、よく分かりません。

マイク・ニコルズ監督死去

ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」で知られるマイク・ニコルズ(Mike Nichols)監督(以下、敬称略)が、2014年11月19日に死去しました。83歳。

マイク・ニコルズは、1931年11月6日生まれ。
ドイツのベルリン生まれですが、1939年に家族で米国に移住。

1950年代にオフ・ブロードウェイの舞台に出演するようになり、その後、演出も手がけるようになり、優秀なブロードウェイ作品に与えられるトニー賞を 7つ受賞しています。

コメディアンとして、1961年にグラミー賞の最優秀コメディーアルバム賞を受賞しています。

1966年の「バージニア・ウルフなんかこわくない」(Who’s Afraid of Virginia Woolf?)で映画監督デビューし、翌1967年の「卒業」(The Graduate)でアカデミー監督賞を受賞。
その後も舞台、映画、テレビで長く活躍しました。

なお、マイク・ニコルズは、2001年のテレビ映画「Wit」と 2004年のテレビ映画「Angels in America」でエミー賞を受賞しており、これまで 9人しかいない、アカデミー賞、トニー賞、グラミー賞、エミー賞の 4賞受賞者の一人です。

私は、子供の頃に「卒業」がテレビ放映された際に鑑賞したことがありますが、他のマイク・ニコルズ監督作品を観たことはありません。

マイク・ニコルズ監督作品では、ハリソン・フォード主演の 1991年の映画「心の旅」(Regarding Henry)に興味があるのですが、当面、鑑賞することはなさそうです。