「芸能」カテゴリーアーカイブ

SMAP 解散へ

5人組アイドルグループ SMAP が解散の危機にあることが、2016年1月13日(水)に報じられました。
メンバー 5人のうち、木村拓哉だけが現在の所属事務所に残り、他の 4人は事務所を辞める可能性が高いようです。

SMAPはジャニーズ事務所所属のアイドルグループで、1988年にグループ結成。
当初は 6人組でしたが、1996年に森且行(もり かつゆき)がオートレース選手に転身するためグループ脱退して芸能界を引退。
その後、SMAP は 5人組アイドルグループとして活動継続し、1998年の「夜空ノムコウ」、2000年の「らいおんハート」、2003年の「世界に一つだけの花」など、多くのヒット曲を世に出し、2003年の「第54回NHK紅白歌合戦」ではグループとしては史上初の大トリを務めました。

この日(2016年1月13日)の午前7時頃に私が起床した時点で、既に SMAP解散が報じられており、その後、ワイドショーや国内ニュース番組だけでなく、英国の BBC等の海外メディアにも取り上げられてました。

午後には、ジャニーズ事務所がマスコミ各社にファックス(Fax)で、SMAPの一部メンバーの独立問題と担当マネジャーの取締役辞任等についての協議・交渉が行なわれている事を明らかにしました。

十数年前には国民的人気のあった SMAP だけに、今回、どのような形で決着がつくか、注目しています。

デヴィッド・ボウイ死去

英国のミュージシャンで俳優のデヴィッド・ボウイ(David Bowie)氏(以下、敬称略)が 2016年1月10日に 69歳で死去しました。
死因は癌だそうです。

デヴィッド・ボウイは、1947年1月8日生まれ。
1970年代前半から中盤にかけてグラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍。
その後、様々な作風の変化はありましたが、2004年のツアー中に緊急入院するまでは継続的に活動していました。

退院後、実質的な引退状態が続いていましたが、2013年1月8日、新曲「ホエア・アー・ウィー・ナウ?」と新アルバム「ザ・ネクスト・デイ」を同年3月に発売すると発表。
死の 2日前の 1月8日には、アルバム「ブラックスター」がリリースされています。

デヴィッド・ボウイは、俳優としても活躍し、日本では特に 1976年の映画「地球に落ちて来た男」(The Man Who Fell to Earth)と 1983年の映画「戦場のメリークリスマス」(Merry Christmas, Mr. Lawrence)に出演したことで知られています。

私は、デヴィッド・ボウイのファンではありませんが、世界の数多くのミュージシャンの大きな影響を与えた人だということは知っています。

才能豊かな偉大なアーティストが世を去ったことを残念に思います。

萩原流行さん死去

俳優の萩原流行さん(以下、敬称略)が 2015年4月22日(水)に 62歳で死去しました。
この日の 18時頃、バイク(ハーレーダビッドソン)を運転中に転倒事故を起こした模様。

3車線の中央車線を走行中、左側から車線変更してきた警視庁高井戸署の護送車と接触して転倒し、後ろから来た乗用車に胸部を轢かれたものとみられています。

心臓破裂と報じられており、即死でしょう。

萩原流行(はぎわら ながれ)は、東京都世田谷区出身の俳優で、1953年4月8日生まれ。

1973年に舞台デビューし、特に 1980年代から 1990年代にテレビドラマや映画で活躍しました。

私は、映画やドラマで萩原流行を見たことはほとんどありませんが、1986年~1987年のドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」に出演していたことは覚えています。

萩原流行は、妻とともに「うつ病」を患っていることを何年か前に明らかにして以降、闘病体験をテレビ番組などで明らかにしていました。

病気の影響があったのかどうかは分かりませんが、萩原流行はここ数年、何度か交通事故を起こしています。
これまでは命にかかわる事故ではありませんでしたが、今回は気の毒なことになりました。

健康だったなら、今頃は NHKの朝ドラや大河ドラマに出演していても不思議ではないレベルの俳優だったことを思うと、残念です。

愛川欽也さん死去

“キンキン”の愛称で知られた、俳優でタレントの愛川欽也さん(以下、敬称略)が死去していたことがわかりました。
2015年4月17日に所属事務所が正式発表したもので、 2015年4月15日の午前5時11分、肺がんのため自宅で死去とのことです。

愛川欽也は、東京出身で 1934年6月25日生まれ。
1954年に俳優座養成所(3期生)に入所後、声優やラジオパーソナリティ、司会者などをこなし、マルチタレントとして活躍しました。

プライベートでは、1978年に前妻と離婚し、その翌日にタレント・うつみ宮土理と再婚したことが、当時、話題となったそうです。

なお、愛川は最初の妻との間に子供 2人(俳優の井川晃一、元女優の佳村萠)をもうけており、孫もいるそうです。

愛川欽也の俳優としての代表作は、1975年~1979年に制作された菅原文太(すがわら ぶんた)主演の映画「トラック野郎」シリーズ。
愛川欽也は主人公の相棒「やもめのジョナサン」こと松下金造を演じてました。

また、テレビ朝日系のドラマ「西村京太郎トラベルミステリー」シリーズで、1981年の第1作から 2012年の第57作まで、愛川欽也が亀井刑事役で出演してました。

司会者としては、2014年9月にテレビ東京系の「出没!アド街ック天国」の司会により、「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネス世界記録に認定されています。

私は、「出没!アド街ック天国」を見たことはありませんが、フジテレビ系の紀行・クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」(1981年10月6日~1996年3月26日)を何度か見たことがあります。
この番組は愛川と楠田枝里子が司会で、身長 175センチの楠田が椅子に座り、身長 168センチの愛川は立って話すスタイルだったことが私の印象に残っています。

愛川は、1995年4月から出演していた「出没!アド街ック天国」を、放送1000回目の 2015年3月7日放送分を以て降板しました。
既に体調は悪かったのだと思いますが、ほぼ生涯現役だったのは幸せだと思います。

ヤンマガを AKBファンが大量購入か?

講談社の漫画雜誌「ヤングマガジン」2015年第16号を AKBファンが大量購入しているらしいことが、2015年3月19日(木)にネットで話題になってました。

「ヤングマガジン」(以下、ヤンマガ)では現在、、「2015ヤンマガ専属 AKB48グループ グラビアモデルオーディション」という企画を実施中で、先月(2015年2月)に行われた一次審査(カメラテスト)により、現在は参加メンバーが 20名に絞りこまれた段階。

ヤンマガ第16号に貼り込まれた「投票専用ハガキ」で投票することにより、抽選で「サイン入りチェキ」を貰えるのだそうで、当選確率を高めるため、1人で何冊ものヤンマガを購入して大量の投票用ハガキをゲットしている人がいる模様。

私はヤンマガを購入する習慣がないので、ヤンマガが買い占められても影響ないですが、ヤンマガを読みたいのに入手できない人もいると思われます。

雑誌の売上げアップのために投票用ハガキを雑誌に付けるのは、雑誌に掲載された漫画を読みたい人にとっては困ったかも。

佐藤ありさ、長谷部と結婚へ

サッカー日本代表MFの長谷部誠選手(以下、敬称略)とモデルの佐藤ありさが 2015年秋にも結婚することが、2015年3月17日に報じられました。

長谷部は 2008年よりドイツ・ブンデスリーガでプレーしており、長距離恋愛の末の結婚ということになります。

私は佐藤ありさという人の存在を知らなかったので、ネットで検索してみたところ、Wikipedia に 佐藤ありさ (タレント)佐藤ありさ (アイドル) の 2人の項目がありました。
今回、結婚が報じられたのは、1988年生まれのタレントの方です。

佐藤ありさは、1988年9月20日生まれ。
雑誌モデルの他に、お天気キャスターとしての活動もあり、2010年4月から日本テレビのスポーツニュース番組「Going!Sports&News」(ゴーイング!スポーツ・アンド・ニュース)にレギュラー出演しているそうです。

長谷部と芸能人の結婚は意外で、少し驚きました。

追記:
長谷部が 2015年3月17日、自身のブログで今回の結婚報道を否定しました。
「記事に出ているような、将来についての事は何ら決まっている事はありません」とのことです。

菅原文太さん死去

俳優の菅原文太(すがわら ぶんた)さん(以下、敬称略)が 2014年11月28日に死去していたことが、2014年12月1日に報じられました。81歳。

菅原文太は、1933年8月16日生まれ、宮城県仙台市出身。

大学中退後、劇団四季に 1期生として入団。

1956年に東宝の映画「哀愁の街に霧が降る」に出演。
1958年に新東宝に入社し、同年の映画「白線秘密地帯」で本格映画デビュー。

1961年に新東宝が倒産したため松竹に移籍し、1967年に東映に移籍。

松竹では脇役ばかりで、東映移籍後も小さな役での出演が続きました。

1969年の「現代やくざ 与太者の掟」が東映移籍後の初主演で、その後、主役での起用が増えました。

1973年からの「仁義なき戦い」シリーズ、1975年からの「トラック野郎」シリーズの大ヒットにより、国民的なスターとなりました。

映画での活動がメインでしたが、1980年の NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演後、数々の TVドラマにも出演しました。
2012年11月に俳優引退を宣言しました。

私は、菅原文太が出演した映画もドラマも観た記憶がありませんが、菅原文太が CM でジープを押していた場面は印象に残っています。

第65回 NHK紅白歌合戦の出場歌手、発表

NHK が 2014年11月26日(水)の午後、「第65回 NHK紅白歌合戦」の出場歌手 51組を正式発表しました。

最多出場は五木ひろしで、44回目。
最多出場は森進一で、47回目。

また、中島みゆきが 12年ぶり 2度目の出場を決めました。
中島みゆきは、2014年度の下半期の NHK連続テレビ小説「マッサン」の主題歌「麦の唄」を歌っています。

連続テレビ小説(以下、朝ドラ)関係では他に、2013年度上半期の朝ドラ「あまちゃん」に女優役で出演していた薬師丸ひろ子が、歌手として初出場することが決まりました。

中島みゆきが紅白歌合戦に初出場したときは、NHKのテレビ番組「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」を歌いました。

私は、その年(2002年)の第53回 NHK紅白歌合戦で、中島みゆきが富山・黒部ダムからの中継出演していた場面を覚えています。

2003年と 2004年の紅白歌合戦(以下、紅白)も見ました。
2003年の方は記憶にありませんが、2004年の方が部分的に覚えています。

2005年以降は積極的には紅白を見ないようになり、家族と一緒に部分的に紅白を見たことはありますが、番組を最初から最後まで見ることはなくなりました。

今年(2014年)の紅白については、中島みゆきと薬師丸ひろ子の歌う場面は見たいと思います。

マイク・ニコルズ監督死去

ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」で知られるマイク・ニコルズ(Mike Nichols)監督(以下、敬称略)が、2014年11月19日に死去しました。83歳。

マイク・ニコルズは、1931年11月6日生まれ。
ドイツのベルリン生まれですが、1939年に家族で米国に移住。

1950年代にオフ・ブロードウェイの舞台に出演するようになり、その後、演出も手がけるようになり、優秀なブロードウェイ作品に与えられるトニー賞を 7つ受賞しています。

コメディアンとして、1961年にグラミー賞の最優秀コメディーアルバム賞を受賞しています。

1966年の「バージニア・ウルフなんかこわくない」(Who’s Afraid of Virginia Woolf?)で映画監督デビューし、翌1967年の「卒業」(The Graduate)でアカデミー監督賞を受賞。
その後も舞台、映画、テレビで長く活躍しました。

なお、マイク・ニコルズは、2001年のテレビ映画「Wit」と 2004年のテレビ映画「Angels in America」でエミー賞を受賞しており、これまで 9人しかいない、アカデミー賞、トニー賞、グラミー賞、エミー賞の 4賞受賞者の一人です。

私は、子供の頃に「卒業」がテレビ放映された際に鑑賞したことがありますが、他のマイク・ニコルズ監督作品を観たことはありません。

マイク・ニコルズ監督作品では、ハリソン・フォード主演の 1991年の映画「心の旅」(Regarding Henry)に興味があるのですが、当面、鑑賞することはなさそうです。

高倉健さん死去

俳優の高倉健(たかくら けん)さん(以下、敬称略)が 2014年11月10日 午前3時49分に悪性リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが、2014年11月18日(火)に報じられました。
83歳。

高倉健(以下、敬称略)は、1931年2月16日生まれで、福岡県中間市出身。

明治大学卒業後、1955年に東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社し、主に現代劇映画に出演。

1963年の映画「人生劇場 飛車角」以降、仁侠映画を中心に活躍し、「網走番外地」シリーズや「昭和残侠伝シリーズ」に主演し、昭和40年代に爆発的な人気がありました。

1976年に東映を退社後、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)や「南極物語」(1983年)など、数々のヒット映画に主演しました。

1965年以降の出演作の大部分が主演という、まさに日本映画を代表する大スターで、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年に文化勲章を受章しています。

私は映画館で高倉健の出演作品を観たことはありませんが、テレビでは何本か観たことがあります。

特に印象に残っているのは、代表作の一つ「幸福の黄色いハンカチ」で、高倉健が演じる主人公が旅の終わりに妻と再会する場面です。

私は特に高倉健のファンというわけではありませんが、子供の頃から名前を知っていた大スターが亡くなったことに、寂しさを感じます。