塙保己一 生誕271周年

Google日本語版トップページに 2017年6月23日(金)、塙保己一(はなわ ほきいち)の生誕271周年にちなんだロゴ画像が掲載されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックするとショートアニメが始まります。次に画像をクリックすると、キーワード「塙保己一」の検索結果が表示されます。

塙保己一(1746年6月23日(延享3年5月5日) – 1821年10月7日(文政4年9月12日))は、江戸時代の国学者で、「群書類従」「続群書類従」の編纂者。
「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)は、古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている本のシリーズ(全666冊)。
「続群書類従」は、計2103種を収めています(全1885冊)。

「群書類従」は、塙保己一が 34歳のときに編纂を決意し、完成は 41年後の 74歳のとき。
「続群書類従」は、1972年(昭和47年)に出版が完結しました。

塙保己一は武州児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)で生まれ、7歳の春に失明。

宝暦10年(1760年)に 15歳で江戸に出ました。
男性盲人の互助組織である当道座(とうどうざ)の雨富須賀一(あめとみ すがいち)検校に入門し、名を千弥と改め、按摩・鍼・音曲などの修業を始めましたが、手先が不器用で上達せず、絶望し、自殺を決意したこともあったようです。

千弥は師の雨富検校に学問したい旨を訴え、認められます。
ただし、3年の間たっても見込みが立たなければ国元へ帰すという条件付き。

幸い、千弥は学問の才能があり、国学・和歌・法律・医学など、様々な学問を学び、盲官として順調に出世していきます。

安永4年(1775年)に、雨富検校の苗字をもらって塙姓に改め、名も保己一と改めました。

保己一は書を読むことが出来ないため、人が音読したものを暗記して学んだそうで、今回のロゴ画像は保己一が学ぶ様子が描かれています。

ちなみに、「群書類従」の版木を製作させる際、なるべく 20字×20行の 400字詰に統一させていたそうで、これが現在の原稿用紙の一般様式の元となっているとのことです。


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