タマラ・ド・レンピッカ 生誕 120周年

Google日本語版トップページに 2018年5月16日(水)、タマラ・ド・レンピッカの生誕 120周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「タマラ・ド・レンピッカ」の検索結果が表示されます。

タマラ・ド・レンピッカは、ポーランド人のアール・デコの画家。出生地については、ロシア帝国支配下のワルシャワ生まれという説もありますが、モスクワ生まれという説もあります。
生年月日は 1898年5月16日とされていますが、1895年説や 1897年説モスクワもあります。

1913年、15歳のときに美男の弁護士に恋し、叔父のコネを利用してその男性と 1916年に結婚。

1917年にロシア革命が起き、夫が逮捕されて銃殺の危機にあった状況で、タマラはスウェーデン領事の助けを借りて夫を釈放してもらい、その後、夫婦でコペンハーゲンに向かい、次にロンドンに行き、結局、フランスのパリに落ち着きました。

パリで、夫婦は手持ちの宝石を売って生活資金に換えていましたが、夫はフランスでは弁護士活動をできず、タマラは生活のため画家になることにします。

幸い、タマラは画家として成功し、自由奔放な生活を実践。
しかし、家族との関係は円満ではなく、1928年に離婚。
1919年に生まれた娘ギゼットとも滅多に会わなかったそうです。

1934年にタマラはパトロンのラウル・クフナー男爵と正式に結婚。
1939年夏から、夫婦は米国で過ごすようになり、タマラの画家としての名声は失われていきます。

1961年11月にクフナー男爵と死別した後、タマラは船で 3度の世界一周旅行をして、その後、娘家族(夫婦には娘2人あり)の住むテキサス州ヒューストンに移住。

タマラは 1978年にメキシコに移住。娘キゼットは夫と死別した後にタマラの元に行き、1980年3月1日にタマラが死去するまでの約3ヶ月間、付き添ったそうです。

なかなか劇的な人生ですが、娘の母親に対する感情は複雑なものだったかもしれません。


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