ヴァージニア・アプガー 生誕 109 周年

Google日本語版トップページに 2018年6月7日(木)、ヴァージニア・アプガー(Heinz Sielmann)の生誕 109周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックするとショートアニメが始まります。
その後、画像を再度クリックすると、キーワード「ヴァージニア・アプガー」の検索結果が表示されます。

ヴァージニア・アプガー( 1909年6月7日 – 1974年8月7日 )は、米国ニュージャージー州出身の女医・女性医学者・麻酔科医。
1952年に、新生児の出産の際の健康状態の評価方法としてアプガー指数を導入し、そのことによって、乳幼児死亡率が低下したそうです。生涯独身。

1994年に、肖像が合衆国の 20セント普通郵便切手( Great Americans series)に採用されました。

アプガー指数は、日本では昭和30年代後半(1960年代)から広く用いられるようになったそうです。
私が生まれていた頃には普及していたはずで、子供の頃の私もアプガー指数で健康状態の判定を受けていたかもしれません。

ハインツ・ジールマン 生誕 101 周年

Google日本語版トップページに 2018年6月2日(土)、ハインツ・ジールマン(Heinz Sielmann)の生誕 101周年にちなんだロゴ画像が表示されました。

ハインツ・ジールマン( 1917年6月2日 – 2006年10月6日 )は、ドイツのドキュメンタリー映画監督で、動物学者、写真家。

1938年に製作したキツツキを題材とした長編映画「Zimmerleute des Waldes」(英語名: Woodpecker)がイギリスで高く評価されて以降、「ミスター・ウッドペッカー」の愛称で知られるようになったそうです。

日本時間の 2018年6月2日になったばかりの時点では Wikipedia にハインツ・ジールマンについての日本語ページはなかったのですが、今回の Googleロゴに取り上げられたことで、その日のうちに誰かが日本語のページを編集してくれました。

ソレン・ソーレンセンを称えて

Google日本語版トップページに 2018年5月29日(火)、ソレン・ソーレンセンを称える内容のロゴ画像が表示されました。

ソレン・ソーレンセン( 1868年1月9日-1939年2月12日 )はデンマークの化学者で、1901年から1938年までコペンハーゲンのカールスバーグ研究所の化学部門の部門長を務めた人。
1909年に水素イオン指数(pH)の概念を考案し、酸性度の指標として pH を導入したことが主な業績です。

今回のロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、ロゴ画像をクリックすると pH にちなんだ内容のショートアニメが始まります。
ショートアニメの終了後、画像下部に表示された虫眼鏡アイコンをクリックすると、キーワード「ソレン・ソーレンセン」の検索結果が表示されます。

ところで、私が小学生の頃、理科の授業でリトマス試験紙を使って水溶液が酸性かアルカリ性か調べたことがありましたが、その頃はソレン・ソーレンセンの名前は習わなかった気がします。

エミール・ベルリナー 生誕 167周年

Google日本語版トップページに 2018年5月20日(日)、エミール・ベルリナー(Emil Berliner)の生誕 167周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「エミール・ベルリナー」の検索結果が表示されます。

エミール・ベルリナー( 1851年5月20日 – 1929年8月3日 )は、ドイツ出身の米国の発明家。レコード盤蓄音機の発明で知られています。

エミール・ベルリナーは、1870年に両親とともに米国に移住。
後に電気技術者となり、アレクサンダー・グラハム・ベルの電話機の改良案で送話器に関する特許を取得。
技師としてベルの電話会社に雇われ、1883年まで勤務。
ベルリナーは独自の蓄音機の開発に取り組み、後のアナログレコードプレーヤーの原型となる円盤式蓄音機「グラモフォン」を 作りました。

また、エミール・ベルリナーはヘリコプターの研究にも取り組み、彼の 6番目の息子ヘンリー・ベルリナー(Henry Berliner)は、米国における航空機とヘリコプター開発のパイオニアになりました。

タマラ・ド・レンピッカ 生誕 120周年

Google日本語版トップページに 2018年5月16日(水)、タマラ・ド・レンピッカの生誕 120周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「タマラ・ド・レンピッカ」の検索結果が表示されます。

タマラ・ド・レンピッカは、ポーランド人のアール・デコの画家。出生地については、ロシア帝国支配下のワルシャワ生まれという説もありますが、モスクワ生まれという説もあります。
生年月日は 1898年5月16日とされていますが、1895年説や 1897年説モスクワもあります。

1913年、15歳のときに美男の弁護士に恋し、叔父のコネを利用してその男性と 1916年に結婚。

1917年にロシア革命が起き、夫が逮捕されて銃殺の危機にあった状況で、タマラはスウェーデン領事の助けを借りて夫を釈放してもらい、その後、夫婦でコペンハーゲンに向かい、次にロンドンに行き、結局、フランスのパリに落ち着きました。

パリで、夫婦は手持ちの宝石を売って生活資金に換えていましたが、夫はフランスでは弁護士活動をできず、タマラは生活のため画家になることにします。

幸い、タマラは画家として成功し、自由奔放な生活を実践。
しかし、家族との関係は円満ではなく、1928年に離婚。
1919年に生まれた娘ギゼットとも滅多に会わなかったそうです。

1934年にタマラはパトロンのラウル・クフナー男爵と正式に結婚。
1939年夏から、夫婦は米国で過ごすようになり、タマラの画家としての名声は失われていきます。

1961年11月にクフナー男爵と死別した後、タマラは船で 3度の世界一周旅行をして、その後、娘家族(夫婦には娘2人あり)の住むテキサス州ヒューストンに移住。

タマラは 1978年にメキシコに移住。娘キゼットは夫と死別した後にタマラの元に行き、1980年3月1日にタマラが死去するまでの約3ヶ月間、付き添ったそうです。

なかなか劇的な人生ですが、娘の母親に対する感情は複雑なものだったかもしれません。

マリア・ライへ 生誕 115周年

Google日本語版トップページに 2018年5月15日(火)、マリア・ライへの生誕 115周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「マリア・ライへ」の検索結果が表示されます。

マリア・ライへ( 1903年5月15日 – 1998年6月8日 )は、ドイツ出身の数学者で考古学者。ペルーのナスカの地上絵を研究した人です。

マリア・ライへはドレスデン工科大学では数学、地理学、物理学を学び、29歳の時にペルーに渡り、ドイツ領事の子供たちの家庭教師として働きはじめました。
1934年に学校教師となり、1939年に第二次世界大戦が勃発した際、ドイツに帰国しない決心をします。

1940年にアメリカ人考古学者ポール・コソックの助手となり、ナスカの地上絵の研究を開始。
コソックが 1948年にペルーを離れた後もマリア・ライへは地上絵の研究を続け、ペルー空軍の協力を得て写真調査を行ったりしました。

また、マリア・ライヒは地上絵を研究するだけでなく、地上絵を保護する活動にも取り組み、自分の財産の多くを保護活動のために使ったそうです。

母の日 2018

Google日本語版トップページに 2018年5月13日(日)、母の日にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「母の日」の検索結果が表示されます。

今回のロゴ画像には、母子と思われる 2体の四足歩行動物(恐竜?)が描かれています。

Wikipedia の「母の日」の項目の記述によれば、日本で「母の日」が 5月の第2日曜日に行われるようになったのは 1949年(昭和24年)頃からだそうです。

個人的には、特に「母の日」や「父の日」を意識することはなく、この日の Google のロゴ画像を見なければ、この日が「母の日」だと思い出すこともなかったかもしれません。

こどもの日 2018

Google日本語版トップページに 2018年5月5日(土)、こどもの日にちなんだロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像をクリックすると、キーワード「こどもの日 2018」の検索結果が表示されます。

今回のロゴ画像には、4体のキャラクターが太鼓等の楽器を演奏しながら縦一列で更新する様子が描かれています。
今年(2018年)は、各国の子供の日に同様のロゴ画像を表示させているようです。

各国の子供の日について、Wikipedia で該当のページを読んでみたところ、6月1日を子供の日としている国が多くありました。

1925年にジュネーブの子供の福祉世界会議で、6月1日を国際子供の日(International Children’s Day)と制定しています。
各国の子供の日が「国際子供の日」よりも先に決まっていたものだとすれば、6月1日という日付に何らかの歴史的な意味があったのかもしれませんが、それを調べてみようと思うほどの興味はありません。

イチロー、事実上の引退

米国時間の 2018年5月3日(木)、イチロー外野手がスペシャルアシスタントとしてマリナーズのフロント入りすることが発表されました。
イチローは今季の残り試合に選手として出場しませんが、チームに同行し、練習を続けるとのことです。

イチローが選手として復帰する可能性はゼロではありませんが、かなり難しく、事実上の引退といっていいでしょう。

イチローは好走守に優れたオールラウンドプレイヤーで、1994年から 2000年までの 7年連続で日本プロ野球(NPB)の首位打者。

2001年のシーズン開幕から MLB でプレーし、2001年にア・リーグの新人王と MVPに選出。
2004年に、262安打でシーズン最多安打記録を更新。
2010年まで 10年連続200本安打。
MLB通算安打数では、3,089本で史上 22位です。

今後、イチローが MLB通算安打数を伸ばす可能性は低いとは思いますが、私はイチローが選手として復活することを期待しています。

ジョルジュ・メリエスを称えて

Google日本語版トップページに 2018年5月3日(木)、ジョルジュ・メリエスを称えるロゴ画像が表示されました。
ロゴ画像には再生ボタンが描かれていて、画像をクリックするとアニメが再生されます。

アニメの終了後、画面表示はキーワード「ジョルジュ・メリエス」で検索できる状態になっています。

ジョルジュ・メリエス( 1861年12月8日 – 1938年1月21日 )は、フランスの映画製作者で、世界初の職業映画監督と言われている人。
多重露光や低速度撮影など、様々な技術を開発しました。

メリエスの最も有名な作品は 1902年の映画「月世界旅行」で、今回の Googleロゴのアニメのラストシーンは、「月世界旅行」での宇宙船が月の目に突き刺さるシーンをモチーフにしています。

メリエスは 1911年頃から興行での失敗が多くなり、兄ガストンが財政面で失敗したこともあって、経済的に行き詰まりました。
1913年以降は映画を製作できず、1923年以降は舞台に立つこともなく、生活は苦しかったようです。

ちなみに、メリエスが映画を撮影しはじめたのは 1896年5月のことだそうです。
今回の Googleロゴが 5月に公開されたのは、この事を意識しているのかもしれません。

元プログラマーの仕事ブログ