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オマル・シャリーフ 生誕 86周年

Google日本語版トップページに 2018年4月10日(火)、オマル・シャリーフ(Omar Sharif)の生誕 86周年にちなんだロゴ画像が表示されました。
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オマル・シャリーフ( 1932年4月10日 – 2015年7月10日 )はエジプト出身のアラブ人俳優で、本名はミシェル・ディミトリー・シャルフーブ。
日本では英語読みの オマー・シャリフ とも表記されます。

オマル・シャリーフは、カイロ大学を卒業後にイギリスに留学し、ロンドンの王立演劇アカデミーで演技を学びました。
帰国後、エジプトで映画デビュー。

1962年のイギリス映画「アラビアのロレンス」でアラブの遊牧民族の族長アリを演じてアカデミー助演男優賞候補になりました。
その後、1965年の映画「ドクトル・ジバゴ」や 1968年の映画「うたかたの恋」に主演するなど、1970年代までは知名度の高い作品に出演してました。

1980年代と 1990年代は知名度の高い出演作品に恵まれませんでしたが、2003年のフランス映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」でセザール賞最優秀男優賞を受賞しています。

私は、オマー・シャリフの出演作を映画館で観たことはありませんが、テレビ放映時に「アラビアのロレンス」と「ドクトル・ジバゴ」を観た記憶があります。

萩原流行さん死去

俳優の萩原流行さん(以下、敬称略)が 2015年4月22日(水)に 62歳で死去しました。
この日の 18時頃、バイク(ハーレーダビッドソン)を運転中に転倒事故を起こした模様。

3車線の中央車線を走行中、左側から車線変更してきた警視庁高井戸署の護送車と接触して転倒し、後ろから来た乗用車に胸部を轢かれたものとみられています。

心臓破裂と報じられており、即死でしょう。

萩原流行(はぎわら ながれ)は、東京都世田谷区出身の俳優で、1953年4月8日生まれ。

1973年に舞台デビューし、特に 1980年代から 1990年代にテレビドラマや映画で活躍しました。

私は、映画やドラマで萩原流行を見たことはほとんどありませんが、1986年~1987年のドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」に出演していたことは覚えています。

萩原流行は、妻とともに「うつ病」を患っていることを何年か前に明らかにして以降、闘病体験をテレビ番組などで明らかにしていました。

病気の影響があったのかどうかは分かりませんが、萩原流行はここ数年、何度か交通事故を起こしています。
これまでは命にかかわる事故ではありませんでしたが、今回は気の毒なことになりました。

健康だったなら、今頃は NHKの朝ドラや大河ドラマに出演していても不思議ではないレベルの俳優だったことを思うと、残念です。

菅原文太さん死去

俳優の菅原文太(すがわら ぶんた)さん(以下、敬称略)が 2014年11月28日に死去していたことが、2014年12月1日に報じられました。81歳。

菅原文太は、1933年8月16日生まれ、宮城県仙台市出身。

大学中退後、劇団四季に 1期生として入団。

1956年に東宝の映画「哀愁の街に霧が降る」に出演。
1958年に新東宝に入社し、同年の映画「白線秘密地帯」で本格映画デビュー。

1961年に新東宝が倒産したため松竹に移籍し、1967年に東映に移籍。

松竹では脇役ばかりで、東映移籍後も小さな役での出演が続きました。

1969年の「現代やくざ 与太者の掟」が東映移籍後の初主演で、その後、主役での起用が増えました。

1973年からの「仁義なき戦い」シリーズ、1975年からの「トラック野郎」シリーズの大ヒットにより、国民的なスターとなりました。

映画での活動がメインでしたが、1980年の NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演後、数々の TVドラマにも出演しました。
2012年11月に俳優引退を宣言しました。

私は、菅原文太が出演した映画もドラマも観た記憶がありませんが、菅原文太が CM でジープを押していた場面は印象に残っています。

高倉健さん死去

俳優の高倉健(たかくら けん)さん(以下、敬称略)が 2014年11月10日 午前3時49分に悪性リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが、2014年11月18日(火)に報じられました。
83歳。

高倉健(以下、敬称略)は、1931年2月16日生まれで、福岡県中間市出身。

明治大学卒業後、1955年に東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社し、主に現代劇映画に出演。

1963年の映画「人生劇場 飛車角」以降、仁侠映画を中心に活躍し、「網走番外地」シリーズや「昭和残侠伝シリーズ」に主演し、昭和40年代に爆発的な人気がありました。

1976年に東映を退社後、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)や「南極物語」(1983年)など、数々のヒット映画に主演しました。

1965年以降の出演作の大部分が主演という、まさに日本映画を代表する大スターで、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年に文化勲章を受章しています。

私は映画館で高倉健の出演作品を観たことはありませんが、テレビでは何本か観たことがあります。

特に印象に残っているのは、代表作の一つ「幸福の黄色いハンカチ」で、高倉健が演じる主人公が旅の終わりに妻と再会する場面です。

私は特に高倉健のファンというわけではありませんが、子供の頃から名前を知っていた大スターが亡くなったことに、寂しさを感じます。

リチャード・キール死去

米国の俳優リチャード・キール氏(以下、敬称略)が、2014年9月10日に 74歳で死去しました。

リチャード・キール(Richard Kiel)は、1939年9月13日生まれ。
身長 218センチ、体重 143キログラムで、世界一巨体な俳優として知られていた人です。

1960年に TVドラマでデビューし、1961年の SF映画「幻の惑星(The Phantom Planet)」で、映画初出演。

リチャード・キールの名前を一躍有名にしたのは、1977年の映画「007 私を愛したスパイ(原題: The Spy Who Loved Me)」でのジョーズ役。
ジョーズは金属の歯を持つ殺し屋で、ロジャー・ムーアが演じる主人公ジェームズ・ボンドを苦しめました。

キールは、1979年の映画「007 ムーンレイカー(原題: Moonraker)」でも同じジョーズ役で出演しています。

また、2010年の米国アニメ映画「塔の上のラプンツェル(原題: Tangled)」で、声優を務めていました。

リチャード・キール出演作品で、私の印象に残っているのは、ジーン・ワイルダー主演の映画「大陸横断超特急(原題: Silver Streak)」(1976年)。
この作品でのキールは、悪の手下リース役で、007 でのジョーズ役を思わせる雰囲気でした。


大陸横断超特急 [ ジーン・ワイルダー ]

中村優一、俳優活動を再開

2012年9月に芸能界引退した中村優一(敬称略)が俳優活動を再開することが分かりました。

2014年に所属事務所「G-STAR.PRO」が公式サイトで発表したもの。
また、翌30日に中村優一個人のブログに、「この度、俳優として再出発させて頂きたいと思います。」と、活動再開の意向を表明する内容の記事が投稿されました。

中村優一は、「仮面ライダー電王」での桜井侑斗 / 仮面ライダーゼロノス(声)役」で知られる人で、以前はワタナベエンターテインメントに所属し、同事務所の若手男性俳優集団「D-BOYS」のメンバーでした。

なお、「中村優一Blog」の過去のエントリーは、削除されたようで、過去記事は読めなくなってました。

村上弘明、「大江戸捜査網」井坂十蔵役に

テレビ東京系で 2015年1月2日に放送予定のドラマ「大江戸捜査網2015(仮)」に、村上弘明が井坂十蔵(いさか じゅうぞう)役で出演することが分かりました。

井坂十蔵は、主人公の同僚(隠密同心)の一人。
1970年から 1984年までにテレビで放送されたシリーズでは、瑳川哲朗が井坂十蔵を演じてました。

瑳川哲朗が演じた井坂十蔵は渋い脇役でしたが、村上弘明による井坂十蔵がどのような感じになるか、少し楽しみです。

ただ、私の地元(静岡県富士宮市)はテレビ東京系の番組はリアルタイムでは放送されません。

私が「大江戸捜査網2015(仮)」を鑑賞できる時期は、まだ分かりません。

ロビン・ウィリアムズ、死去

ロビン・ウィリアムズ(敬称略)が死去したことが、2014年8月11日(日本では 12日)に報じられました。63歳。窒息による自殺と見られているようです。

ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)は、米国イリノイ州シカゴ出身の俳優で、生年月日は 1951年7月21日。

ロビン・ウィリアムズは、1970年代後半にスタンダップ・コメデイアンとして活動開始。
1978年から1982年にかけて放送された TVドラマ「モーク&ミンディ(Mork & Mind)」で有名となり、1980年に映画「ポパイ(Popeye)」で主演デビュー。

その後、主に映画俳優として活動し、「グッドモーニング、ベトナム(Good Morning Vietnam)」(1987)、「いまを生きる(Dead Poets Society)」(1989)、「フィッシャー・キング(The Fisher King)」(1991)で計3度、アカデミー主演男優賞にノミネートされ、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(Good Will Hunting)」(1997)でアカデミー助演男優賞を受賞しています。

コミカルな演技もシリアスな役柄もこなせる俳優でしたが、なぜか私は、この俳優の出演作品を鑑賞した記憶がほとんどありません。

ロビン・ウィリアムズ主演の映画「ジュマンジ(Jumanji)」(1995)については、何度目かのテレビ放映時に鑑賞しているはずですが、記憶が風化しています。

「ミセス・ダウト(Mrs. Doubtfire)」(1993)も鑑賞済です。
「ミセス・ダウト」でのロビン・ウィリアムズの役は、離婚して 3人の子供と引き離された父親ダニエル・ヒラード。
ダニエルは子供達と過ごすため、60歳くらいの女性に変装して、家政婦として元妻の家で働くという設定。

女装後の家政婦の姿は覚えていますが、ダニエル本来の姿は忘れてしまっています。

そのうちに、「ミセス・ダウト」を見たいものです。

「ダイ・ハード」ナカトミ商事社長役俳優が死去

映画「ダイ・ハード」のナカトミ商事社長役などで知られる俳優のジェームズ繁田(James Shigeta )さん(以下、敬称略)が 2014年7月28日、就寝中に 81歳で死去しました。

ジェームズ繁田は、米国ハワイ州出身の日系三世の米国人で、生年月日は 1933年6月17日。

歌手として活動開始し、1950年代中頃に来日。
歌手として、1957年と 1958年の「NHK紅白歌合戦」に出場しています。

米国に帰国後の 1959年、サミュエル・フラー監督の映画「クリムゾン・キモノ」で俳優デビュー。
この映画でジェームズ繁田は、アジア人で初めて、白人女性と恋に落ちる役を演じました。

その後、二枚目の日系俳優として活躍。

日本では、1976年の映画「ミッドウェイ」(原題: Midway)の南雲忠一中将役、1988年の映画「ダイ・ハード」(Die Hard)のナカトミ商事社長ジョセフ・ヨシノブ・タカギ役で有名。

本稿を書くにあたり、Wikipedia 等で経歴を調べましたが、紅白歌合戦に出たことがあることに驚きました。


ダイ・ハード [ ブルース・ウィリス ]

ジェームズ・ガーナー、死去

米国の俳優ジェームズ・ガーナー(James Garner、)氏(以下、敬称略)が 2014年7月19日に死去しました。

ジェームズ・ガーナーは、1928年4月7日生まれ。

1957年に映画デビューし、1957年9月から西部劇コメディの TVドラマ「マーベリック」(原題: Maverick)にマーベリック家の長男ブレット役で出演し、人気俳優に。
その後、1963年の「大脱走」(The Great Escape)や 1966年の「グラン・プリ」(Grand Prix)など、多くの映画に出演。

私は、テレビ放映時に「大脱走」を観たことがあります。
ジェームズ・ガーナーが演じていたのは、「調達屋」の通称で呼ばれる米国人で、ほぼ失明状態の友人を連れて、小型飛行機で逃走するという、印象的な役柄でした。

また、1974年~1980年に放送された TVドラマ「ロックフォードの事件メモ」(The Rockford Files)は、ジェームズ・ガーナーの代表作といえる人気作品となり、日本では 1985年から 1980年にテレビ朝日系で放送されました。

なお、米国でドラマ「The Rockford Files」の DVDは販売されていますが、現時点で「ロックフォードの事件メモ」の日本語吹き替え版 DVDは販売されていません。

「The Rockford Files」の DVDには英語字幕が入っているそうなので、英語学習目的で入手することも考えましたが、そこまでする熱意は、私にはありません。


グラン・プリ【Blu-ray】 [ ジェームズ・ガーナー ]